国旗損壊罪とは? 自民・維新が法案提出へ 背景と問題点を解説

国旗損壊罪とは?

 

自民党日本維新の会は連立政権の合意書に署名し、2026年の通常国会で「国旗損壊罪」を制定するための法案提出を明記した。

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高市早苗氏が自民党総裁として首相に就任したばかりのタイミングで、連立政権の初仕事として位置づけられる内容だ。合意書では、「日本国国章損壊罪」を新設し、現行法の「外国国章損壊罪」のみが存在する「矛盾」を是正すると強調されている。一見、国家の象徴を守るための当然の措置のように見えるが、この動きは本当に必要か? そして、私たちにどんな未来を描いているのか? ここでは、まずこれらの法律をわかりやすく解説した上で、この政治姿勢への疑問を投げかけてみたい。軍国主義の亡霊がよぎるような、不気味な予感が拭えないのだ。

まず、基本をおさらい「国旗損壊罪」とは何か?

日本では、国旗(日の丸)や国章(菊の御紋)を傷つける行為を直接罰する法律が、意外にも存在しない。代わりに、刑法第92条に「外国国章損壊罪」という規定がある。これは、他国の国旗や国章を損壊した場合に適用されるもので、最高3年以下の懲役または10万円以下の罰金が科せられる可能性がある。例えば、外国大使館の前で他国の旗を燃やすような行為は、これで処罰対象になる。

一方、「日本国国章損壊罪」(通称「国旗損壊罪」)は、この空白を埋めるための新設法だ。自民党と維新の合意では、刑法を改正してこれを導入し、日の丸や菊の御紋を損壊・汚損する行為を罰則化する。罰則の詳細はまだ明らかになっていないが、外国国章損壊罪と同等の水準(懲役や罰金)が想定される。背景には、過去の事例がある。2012年、自民党は野党時代に同様の法案を提出したが、廃案に終わった。当時は「表現の自由を侵害する」との反対論が強く、議論が深まらなかった。

要するに、現状は「他国のシンボルは守るけど、自分の国のシンボルは野放し」というアンバランスな状態。これを是正するのが今回の合意の狙いだ。国家の誇りを法的に護る、というストーリーは、聞こえはいい。

なぜ今、この法律? 連立政権の「国家観」が透けて見える

自民党高市総裁は、かねてから国家象徴の保護を主張してきた。合意書では、「国旗を傷つける行為を許さない」という強い言葉が並ぶ。維新もこれに同調し、連立の象徴的な政策として位置づけている。2026年の通常国会提出というスケジュールは、来年の衆院選を意識したものだろうか。支持基盤へのアピールとして、ナショナリズムをくすぐるカードを切っているように思える。

しかし、ここで問題提起したい。このような政治姿勢は、本当に健全か? 私自身、このニュースを読んで感じたのは、どこか息苦しい軍国主義の残り香だ。戦前の日本では、国旗や国章は天皇中心の国家イデオロギーの象徴だった。敗戦後、平和憲法の下でそうした「強制的な国家崇拝」は封じ込められたはずだ。1999年の「国旗国歌法」で日の丸と君が代を公式に定めた際も、強制教育への懸念から大論争になった。あの時を思い出すと、今回の法案は「次の一手」に見えてしまう。

表現の自由の観点から見ても、心許ない。国旗を燃やすデモは、欧米ではベトナム反戦運動のように、言論の自由の象徴として守られている。日本でこれを罰したら、反戦や人権デモが萎縮する恐れがある。外国国章損壊罪があるのは、外交上の礼儀として理解できるが、自国版を急ぐ必要性は薄い。実際、過去に国旗損壊の事件はほとんどなく、社会的な混乱を招いていない。むしろ、こうした法律は「愛国心の強制」を生み、異論を封じるツールになりかねない。

さらに、不気味なのは文脈だ。高市政権は、防衛力強化や憲法改正を掲げている。国旗保護法は、その序曲のように見える。軍国主義の復活? いや、決して大げさではない。歴史を振り返れば、シンボルの神聖化は、しばしば拡張主義の布石になる。欧州の極右政党が似たような法律で支持を集めているのを思い浮かべると、ぞっとする。私たちは、戦後の「反省の精神」を失いつつあるのではないか?

結論 象徴を守る前に、自由を守れ

自民・維新の合意は、国家の誇りを強調するが、それは同時に個人の自由を圧迫するリスクを孕む。この法案が通れば、日本は「自国シンボル至上主義」の一歩を踏み出すかもしれない。だが、本当に必要なのは、日の丸を燃やす人を罰する法律ではなく、多様な声が響き合う社会だ。国会では、野党や市民団体が猛反発するだろう。2026年、私たちはどんな議論を繰り広げるのか。軍国的な影を払拭するためにも、表現の自由を死守する声を上げたい。

この動きを注視し、議論を深めよう。国家の象徴は大切だが、それ以上に大切なのは、私たちの自由な心だ。