NEWS QUEST ニュースの「はてな」を解く

わかりやすく疑問を解説

なぜイランは日本だけ「特別扱い」するのか?――ホルムズ海峡通過と、知られざる100年の友好史

※この記事には、アフィリエイトリンクや広告(Google AdSenseなど)が含まれています。 リンク経由の申込みや広告の表示・クリックにより、運営者に収益が入ることがあります。

イランと日本の関係

いま何が起きているのか

2026年3月20日、戦時下のイランから驚きの発言が飛び出しました。アラグチ外相が共同通信のインタビューで、ホルムズ海峡について日本関連船舶の通過を認める用意があると明言したのです。

2月28日に米国・イスラエルがイランを攻撃して以降、イランは報復としてホルムズ海峡を事実上封鎖しています。ペルシャ湾内には日本の関係船舶45隻が足止めされており、原油輸入の9割以上を中東に依存する日本にとっては「国のエネルギーが止まるかどうか」という死活問題です。

アラグチ外相は「われわれは海峡を封鎖していない。イランを攻撃する敵の船舶に対して封鎖しているのだ」と説明し、日本との協議がすでに始まっていることも明かしました。

では、なぜ米国の同盟国であるはずの日本に、イランはこれほどの配慮を見せるのでしょうか? その答えは、多くの日本人が知らない「イランと日本の特別な関係」にあります。


「敵の敵は友」ではない――日本が嫌われなかった理由

イランの近代史は、大国による干渉の歴史でもあります。19世紀にはロシアとイギリスが領土と利権を奪い合い、20世紀にはアメリカがCIAを使ってクーデターを起こし(1953年)、その後も経済制裁を繰り返してきました。隣国のイラク、アフガニスタン、トルコとも複雑な関係を抱えています。

こうした歴史のなかで、日本は「イランを植民地にしなかった国」「軍事介入しなかった国」として際立つ存在です。ペルシア語には「離れていればこその友情」(ドゥーリ・オ・ドゥースティ)ということわざがあり、地理的に離れているからこそ、利害対立が生まれにくかったことが友好の土台になっています。

これは単なる「無関心」ではありません。積極的な友好エピソードが歴史のなかに積み重なっているからこそ、「親日」は世代を超えて受け継がれているのです。


日露戦争の衝撃――「アジアの小国がロシアに勝った」

イラン人の日本に対する好意の原点のひとつが、1905年の日露戦争です。

当時のイラン(ガージャール朝)は、南下政策を進めるロシア帝国の圧力に苦しんでいました。そんななか、極東の小国・日本がロシアを破ったというニュースは、イランの知識人や政治家に大きな衝撃を与えます。

特に注目すべきは、この勝利が「立憲君主制の力」として解釈されたことです。憲法を持たないロシアに対し、明治憲法を持つ日本が勝った——そう受け取ったイランの人々は、自国でも憲法制定を求める「立憲革命運動」(1905〜1911年)を起こしました。日本の勝利が、イランの近代化を後押ししたのです。


日章丸事件――73年前の「助け船」が今も語り継がれる理由

イランの親日感情を決定的にしたのが、1953年の「日章丸事件」です。百田尚樹の小説『海賊とよばれた男』のモデルにもなったこの出来事は、イランでは今でも語り継がれています。

背景:イギリスに封鎖されたイラン

当時、イランの石油はイギリス資本の会社(後のBP)に管理され、利益のほとんどがイラン国民に還元されていませんでした。1951年、モサデク首相が石油の国有化を宣言すると、激怒したイギリスはペルシャ湾に軍艦を派遣し、「イランに石油を買いに来たタンカーは撃沈する」と宣言。事実上の海上封鎖で、イランは石油を売ることすらできなくなりました。

出光佐三の決断

この状況を見た出光興産の創業者・出光佐三は、「イギリスの経済封鎖に国際法上の正当性はない」と判断。自社の大型タンカー「日章丸」をイランへ極秘派遣することを決断します。

1953年3月23日、日章丸は行き先をサウジアラビアと偽って神戸港を出港。イギリス海軍の監視網をかいくぐり、4月10日にイランのアーバーダーン港に到着しました。日章丸がイランに着いたニュースは世界中で報道され、イラン国民は「孤立していた自分たちを日本が助けてくれた」と歓喜しました。

石油を積んだ日章丸は無事に日本へ帰還。イギリス側は東京地裁に提訴しましたが、裁判所は出光側の正当性を認めています。

なぜ今も記憶されているのか

この事件が重要なのは、当時の世界で「イギリスの封鎖を突破してイランを助けた国は日本だけだった」という事実です。欧米が支配する石油秩序に、武装もしない民間企業が正面から挑んだ。この構図が、「大国の横暴に苦しんできた」イランの歴史感覚と深く共鳴するのです。


安倍訪問と「橋渡し外交」の伝統

日本とイランの関係には、もうひとつ重要な側面があります。日本が欧米とイランの「橋渡し役」を担ってきたことです。

2019年6月、安倍晋三首相は現職の日本の首相として41年ぶりにイランを訪問し、最高指導者ハメネイ師と直接会談しました。トランプ大統領から「これはシンゾウにしかできない」と託された仲介外交でした。

ハメネイ師は「米国とは交渉しない」と述べましたが、「安倍首相の善意と誠実さは疑わない」として会談に応じ、安倍氏を仲介者として認めました。結果的にこの訪問で劇的な成果は出ませんでしたが、イラン側に「日本は対話の窓口になりうる国」という認識を改めて植えつけたのです。


日本が「敵」にならなかった外交的理由

今回のアラグチ外相の発言を読み解くうえで見逃せないのが、現在の高市政権の外交姿勢です。

3月19日の高市首相とトランプ大統領の首脳会談で、日本はいくつかの重要なシグナルを発しました。

  • 日本はイランの周辺国攻撃やホルムズ海峡封鎖を批判した一方、米国・イスラエルの攻撃には直接的な批判を控えた——つまり、完全にアメリカ側に立ちきったわけではありません。
  • トランプ大統領が期待していた「艦艇派遣」について、高市首相は明確な確約を避けた——これはイラン側からすれば、「日本は軍事的に敵対する意思がない」と受け取れるサインです。
  • 日本は欧米と異なり、イラン革命防衛隊を「テロ組織」に指定していない。また、米国やEUのような独自のイラン経済制裁も科していません。日本が対応しているのは国連安保理決議に基づく核関連の制裁のみです。

専門家の分析によれば、アラグチ外相の日本船通過容認発言は、こうした首脳会談の結果を見た上でのリアクションと考えられます。イランにとっても「無駄に敵を増やさない」ことは合理的な戦略であり、日本は「米国の同盟国だが、イランの敵ではない」という絶妙なポジションにいるのです。


もっと深い親日の理由――文化と価値観の共鳴

国家レベルの外交だけでなく、イラン国民の間に根づく親日感情には、文化的な共通点も影響しています。

  • 礼儀と謙遜の文化:イランには日本の「建前」「義理」「謙遜」に似た概念があり、相手を立てて自分は控えめにする対人関係のスタイルが共通しています。
  • 家族を大切にする価値観:イランは家族のつながりが非常に強い社会で、この点も日本の家族観と通じます。
  • 詩と美意識の共有:詩作をこよなく愛するイランの文化と、俳句の伝統を持つ日本には「詩情」という共通のDNAがあります。
  • 日本文化の浸透:イランでは黒澤明や小津安二郎の映画が高く評価されているほか、NHKドラマ『おしん』が大ヒットした歴史があります。テヘランの大学には日本語学科もあり、日本文化への関心は今も続いています。

長年イランに暮らした日本人の言葉を借りれば、「欧米も近隣諸国も嫌いなイラン人が好きな国は、ズバリ日本」なのです。


正倉院からホルムズ海峡へ――1300年の細い糸

じつは日本とイランの縁は、外交関係が始まるはるか前に遡ります。奈良・正倉院に収蔵されている「白瑠璃碗」や「漆胡瓶」(しっこへい)は、ペルシャ(現在のイラン)の影響を色濃く受けた工芸品です。シルクロードを通じて、ペルシャの文化は1300年以上前から日本に届いていたのです。

1926年に正式な外交関係を樹立し、第二次世界大戦による断絶を経て1953年に関係を回復。冷戦期には反共陣営の一員として良好な関係を維持し、皇族同士の公式訪問も行われました。1979年のイスラム革命後も、日本は中東の多くの国と異なり、イランとの外交関係を維持し続けています。

こうして見ると、今回の「日本船の通過を認める」という発言は、突然のリップサービスではなく、100年にわたる信頼関係の延長線上にあることがわかります。


茂木外相の回答と今後の焦点

一方、日本政府の対応は慎重です。茂木敏充外相は3月22日、イランに対して日本の船だけ先に通すよう個別に働きかける考えは「いまのところない」と述べ、あくまで「すべての国の船が通れる状態」を目指す方針を示しました。

これは外交上の計算があります。日本だけが単独でイランと取引すれば、同盟国である米国から「抜け駆け」と見なされかねません。しかし同時に、45隻の足止め船舶の安全については「政府として責任を持つ」と明言しています。

今後の焦点は、日本がイランとの伝統的友好関係を活かして、ホルムズ海峡の全面的な航行再開に向けた仲介役を果たせるかどうかです。アラグチ外相の発言は、イラン側がその余地を残していることを示唆しており、日本外交の真価が問われる局面と言えるでしょう。


まとめ イランが日本を「友」と見なす5つの理由

  1. 歴史的に摩擦がない:植民地支配や軍事介入の経験がなく、「恨みの記憶」が存在しない
  2. 日露戦争の象徴性:ロシアに苦しんだイランにとって、日本の勝利は「大国は絶対ではない」という希望だった
  3. 日章丸事件の恩義:イギリスの封鎖下で唯一助けに来た国として、今も記憶されている
  4. 橋渡し外交の実績:安倍訪問に代表される、米イラン間の仲介者としての信頼
  5. 現在の外交姿勢:革命防衛隊のテロ指定を行わず、独自制裁も科さない日本の「中立に近いスタンス」

ホルムズ海峡をめぐる危機は、まさにこの「100年の友好」が試される瞬間です。私たちの日常生活に届くガソリンや電気の背景に、こうした歴史と外交があることを、ぜひ知っておいてほしいと思います。