
「保守」という言葉を聞くと、なんとなく“右寄り”や“昔ながら”という印象を持つ人が多いかもしれません。
でも、本来の保守とは、国民の暮らしと文化を守るために、変化を慎重に選ぶ思想でした。
ところが現代日本では、保守を名乗りながらも新自由主義的な政策を進める政権が多く、むしろ社会の安定を壊しているようにも見えます。
「保守とは何か?」という根本的な問いを、もう一度見つめ直してみましょう。
保守とは「守る」ことだが、何を守るのか
「保守」とは本来、既存の社会秩序や伝統を大切にし、急激な変化を避けようとする考え方を指します。 つまり「今ある良いものを守る」「変えるなら慎重に」というスタンスです。 家族や地域社会、歴史・文化などを重視し、社会の安定を第一に考えるのが基本です。 しかし、時代や国によって「守るもの」は変わります。 英国の保守党は自由経済を守り、アメリカの保守派は国家と宗教的価値を守ります。 では、日本の「保守」は何を守ってきたのでしょうか。
日本の保守が目指した「戦後からの脱却」
戦後の日本では、自民党が「保守」を名乗ってきました。 特に安倍晋三元首相や高市早苗首相のような政治家は、「憲法改正」や「国防強化」を保守の象徴として掲げています。 なぜ“変える”ことが保守なのか――。 それは、現行憲法がGHQ(連合国軍)によって作られた「外から与えられた憲法」だと見なされているからです。 保守派はこれを「日本の伝統や主権を取り戻す行為」として、憲法改正を“守るための変化”と位置づけてきました。 つまり、日本の保守は「戦後体制からの脱却」という目標を掲げてきたのです。
しかし、経済政策では“保守”とは言いがたい現実
一方で、保守政権を自称する政治の中身をよく見ると、伝統的な保守とは言えない側面もあります。 たとえば小泉・安倍路線以降の経済政策は、「新自由主義(市場原理の徹底)」に傾き、外資優遇・格差拡大を招きました。 これは本来、社会の安定と共同体を重視する“保守主義”とは真逆の方向です。 保守とは本来、「国民の暮らしを守ること」です。 ところが近年の“保守政権”は、株主やグローバル市場を守る政策に偏り、生活者を守るという視点が薄れつつあります。 それを指して一部では「似非保守(えせほしゅ)」とも呼ばれています。
真の保守とは、国家の自立と国民生活の安定を守ること
ここで興味深いのは、れいわ新選組などが掲げる「対米自立」「反グローバリズム」「積極財政」という路線です。 彼らはイデオロギー的には「左派」と分類されがちですが、国家の主権や国民生活を守る姿勢は、むしろ本来的な保守主義に近いと見ることもできます。 つまり、いまの日本政治では「保守」と「革新」の線引きが曖昧になっているのです。 国を守るとは、単に軍備を増やすことではなく、 「外圧に左右されず、自国民の生活を守る政治」を貫くこと。 これこそ、21世紀の真の保守ではないでしょうか。
まとめ 「保守」という言葉が軽くなっていないか
保守とは、単なるスローガンではなく、「何を、誰のために守るのか」という問いです。 戦後日本ではそれが憲法改正や安保体制に置き換えられてきましたが、 本来は、国民の生活・文化・共同体をどう守るかという実践のはずです。 いま「保守」を名乗る人々の言葉が、本当に“守る政治”につながっているのか。 その問いをもう一度、私たちが考える時期に来ているのかもしれません。